リーダーの個人的な人格

テモテへの第一の手紙 3:1-7

リーダーの個人的な人格

   主日おめでとうございます、オープンドアにいらっしゃる方とオンラインで

ご覧の皆さん。私たちは「キリスト教会のリーダーシップ」という一連の聖書メッ

セージを進めています。これに焦点を当てている理由の一部は、この数か月で次期

主任牧師を迎える準備をしていることにあります。先月は 「リーダーの霊的賜物」

について学びました。今日の箇所は、「リーダーの人格」にスポットライトを当てて

います。

   哲学者で聖書教師のダラス・ウィラードは、霊的賜物について、例えば伝道

者や牧師になるために必要な賜物を神が与えることについてよく語っていました。

彼は、それらが当然良いものであるにもかかわらず、ある種の危険性も伴うことを

指摘しました。もしあなたが才能ある人物であっても、その賜物を適切に使用する

ための人格を持っていなければ、それらは容易にあなたの人生や他人の人生におい

て有害で破壊的なものになる可能性があります。良い人格がなければ、実際あなた

の賜物は破滅につながる可能性があります。悲劇的なことに、道徳的な失敗によっ

て自分自身と自分の働きに高い代償を払うことになった多くの才能あるキリスト教

のリーダーたちを、思い浮かべることができます。

   もし私が何かに才能がある場合、自分自身と自分の才能について考える強い

傾向があります。スポーツ、音楽、執筆、話術などに才能がある場合、人々にそれ

を使っている自分を見てもらいたいと思います。周りの誰かが自分よりも強く、速

く、あるいはパフォーマンスが上手であることを望みません。誰かが自分よりも名

声のある仕事に就いたり、昇進したりすることを望みません。気づかないうちに、

それが他人から自分を引き離すことがあります。最終的には、リーダーとしてうま

く機能することが不可能になる可能性があります。

   一方で、私が成熟した人格を持ち、自分の賜物を謙虚に持ち、神と他者に仕

えるためにそれを使おうとするならば、私は自由に、注意を外に向けることができ

るようになります。他の人々の中に見える賜物を楽しむことを学ぶことができま

す。日々、周りの人々や出来事の中に見られる美しさや善良さを楽しみ、感謝する

能力が成長していきます。私が一緒にいる人々に注意を払い、彼らのニーズを満た

す方法を探すことができるようになります。それが神の名による優れたリーダーシ

ップへの道です。それが神が本当に喜ぶ方法で神の教会を建て上げるのです。

   したがって、すべての人にとって、特に教会のリーダーにとって、人格は神の

目において非常に重要です。著者パウロが1-7 節に挙げている教会のリーダーの約

15 の特徴のうち、賜物やスキルに関するものは1 つだけです。この働きのために選

ばれる人々は教えることができなければならない、と2 節は述べています。しか

し、他のすべての「資格」は、その人がどのような人であるかに関するものであ

り、特定のタスクを実行できるかどうかではありません。キリストに従う上で人格

が賜物よりも重要であるという強く主張することができます。

   私たちは神から与えられた特定の賜物ついて、コントロールすることはできませ

ん。裁きの日に神の前に立つとき、神は怒って「なぜもっと才能がなかったの

か?」とは尋ねることはありません。私たちの文化は「良い生活」を送るために才

能があることを大いに期待するかもしれませんが、神は決してそうしません。

   神が私たちに期待しているのは、神が私たちを強い人格の人に成長させるがままに

することです。神の目的は、私たちが持っている賜物の多寡によらず、がすべて彼を

讃え、他人を築き上げることです。その過程で、私たちのニーズは満たされ、私た

ちは最大の幸福を見つけるでしょうが、それは私たちがそれらを中心的な目標にし

たからではありません。それらは、神が本質的に非常に愛情深く惜しみない1方であ

るという理由だけで与えられた恵みの賜物の副産物です。私たちの目標はキリスト

ご自身であり、その大きな部分はキリストのような人格に成長することです。

   パウロがテモテへの手紙第一を書いた理由の一つは、様々な場所で立ち上げられて

いる成長中のキリスト教会のリーダーを選ぶという重要な実践的問題について指針

を提供することです。パウロは一種のメンターで、テモテは彼が「信仰による、真

のわが子」2(テモテへの手紙 第一 1:2)と呼ぶ弟子3です。テモテはエペソにいて、

パウロは彼にそこに留まりって福音の働きを続けるように伝えています。(同 1:3)

使徒の働き 14: 23 は、キリストの信者となった多くの人々について次のように語っ

ています。「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼

らをその信じている主にゆだねた。」パウロはテモテにテモテへの手紙第一 3 章で

同じようなことをする方法を教えています。テモテは神が彼を導くのを感じながら

リーダーを選ぶことになっていると思われます。それは民主的な選挙ではなく、ま

してや人気コンテストでもありません。

   さて、もしあなたがバプテストであれば、この時点で少し違和感を覚えるかもしれ

ません。私たちはもっとボトムアップ式にリーダーを選ぶのではないでしょうか?

はい、私たちの特定の教派は、地元の会衆のメンバーが自由に私たちを導く人を選

ぶという伝統を持っています。私たちはほぼ完全な自由を持っており、そのリーダ

ーを支持し、神が設定した基準に従って彼らの仕事を行うように責任を持って支え

る責任もほぼ完全に持っています。私たちはすべての人が神の目に平等であると信

じているので、教会のメンバーはかなり民主的に投票して物事を選びます。このよ

うに構成された教会では、牧師も一票しか持っていません。

 

1 原文 “God is generous”。日本語では多岐に渡った訳が存在します。

2 今後、別段の説明が無い限り日本語は「新改訳聖書 2017」から引用します。

3 protégé

 

   ですが、パウロと他の少数の人々がリーダーを選ぶというのは、かなりトッ

プダウン的に聞こえませんか?私たちは聖書の教えに反する方法で物事を行ってい

るのでしょうか?いやいや、それは「聖書を信じるバプテスト」が最も非難された

くないことです!

   このメッセージは、この質問について、徹底的に理解するために必要なだけ

の詳細を掘り下げる為に適切なものではありません。今のところ、特に初期の教会

では、宣教師たちは教会が大きく、強く、自立する準備ができている場合には行わ

ないであろう多くのことをしたということを言うのが安全だと思います。また、教

会生活の組織構造やパターンの多様性は必ずしも悪いことではありません。神は、

ある人々がより直接的にリーダーを選び、ある人々が他の人々によって選ばれるこ

とを良しとされるかもしれません。神は様々な場所や時代の中で多様な方法で彼の

民の間で働くことを楽しんでおられるようです。

   しかし、ある意味で、バプテスト教会として、私たちは他のキリスト教徒よ

りも今日のメッセージの教えを聞き、徹底的に理解する必要があります。それは、

私たちの特定の教会統治システムにおいて、私たち全員がテモテへの第一の手紙 3

に描かれているようなリーダーを直接選ぶ責任があるからです。私たちが導く側に

なったときには、このようになるよう指導されており、神は私たちを導く人々がこ

こで与えられた指示に従うことを確実にすることを期待しておられます。

   さて、では具体的に神の教会のリーダーとして神が念頭に置いておられるリ

ーダーとは誰なのでしょうか?今日使っている翻訳では1-7 節で4「監督の職5」につ

いて話しています。8-10 節、そして再び12 節では「執事」の基準が示されていま

す。11 節では「彼らの妻たち」に関する教えがあります。これが執事の妻だけを意

味するのか、牧師の妻も含むのか、あるいは何を意味するのかは完全には明確では

ありません。しかし、これらの教えがすべての妻を含むすべてのクリスチャンに適

用されると推定しても間違いではないようです。

   まず、「リーダー」(1-7 節)についてですが、ここで使用されている言葉は

episkope6で、Episcopal Church(アメリカ聖公会)がその名前を取っている言葉

です。これは単に監督者を意味します。新約聖書では、教会のリーダーはしばしば

presbuteros とも呼ばれ、恐らくPresbyterian Church(長老派教会)については

ご存知でしょう。この単語は長老を意味します。これは必ずしもグループ内の他の

人よりも年上であることを意味するわけではなく、長年の生活を通じて賢くなり、

それゆえに良くリードできるという考えです。羊飼いpoimin という言葉は牧師を

意味し、これも聖書では一般的です。これらの言葉は、御言葉の中で使用される

 

4 “Here is a saying you can trust. If anyone wants to be a leader in the church, he wants to do a good work for God

and people.” (NIrV 1 Timothy 3:1)

5 『次のことばは真実です。「もしだれかが監督の職に就きたいと思うなら、それは立派な働きを求めることであ

る。」』(テモテへの手紙 第一 3:1)

6 ギリシャ語はἐπισκοπῆς で正しい音訳はepiskopé ですが簡略してepiskope の音訳が使われる事もあります。

(Strongs G1984)

 

方法において基本的には同じであると理解できます。さまざまな教派がそれぞれの

システム内で異なる意味や役割を与えていますが、すべてが神の人々を導く教会の

リーダーを指しています。

   私たちの主は、彼の教会のリーダーに非常に高い基準を設けておられます。

私たちは「非難されるところがなく」(2 節)、「礼儀正しく」(2 節)、そして「教会

の外の人々にも評判の良い人」(7 節)であるべきです。神は、完璧な人々だけが彼の

教会を導くことができると言っているわけでは無いと解することができます。なぜ

なら、そうであればリーダーは誰もいなくなってしまうでしょう̶私たちは皆、弱

く、罪深い人間です。私たちが完璧でないときに完璧であるふりをするように神が

私たちに呼びかけているわけでもありません。牧師の家には各部屋に十字架の道行

きがあり、寝室からキッチンに歩くたびに立ち止まって祈ると思う人もいるかもし

れません。そのような牧師を私は知りません。

   しかし、私たちの主は罪を許すわけではありません(「少しの不従順なら大丈

夫、ただしあまりに多くない限り」?)。そして、今日の聖書箇所の教えは、リーダ

ーが従うべき法のリストではなく、教会が成功するために現実的に必要なものの説

明のように思われます。これらは経験の知恵から生まれたものです。教会の外(そ

して時には内)には批判や非難、攻撃の機会を探している人々がいます。これが起

こったとき、グループは弁護できる生活を送っているリーダーを必要です。

   リーダーで無ければがより低い基準で生きてもよいというわけではありませ

ん。すべての人が、人間としての生き方の完全な模範であるキリストのように生き

るように召されています。しかし、リーダーの失敗の影響は異なります。約6 年前

に札幌で非常に強力な嵐があったのを覚えているかもしれません。(実際には、北海

道全体が停電した地震の直前でした。)私たちの家の近くには美しい木々̶白樺や

様々な種類の木々̶で覆われた丘があります。風と雨で大小さまざまな木々が倒れ

ましたが、大きな木が倒れるときの被害が明らかに大きかったです。それらが倒れ

たとき、いくつかは小さな木の上に倒れ、それらも倒してしまいました。同様に、

神の民は皆時々愚かな選択をしますが、それが教会のリーダーである場合、より多

くの人々と主の目的そのものが、そのプロセスで傷きます。

   教会のリーダーは普通の人々ですが、特別な召しがあります。リーダーと信

徒は神の目には等しく重要であり、一方が他方より優れているわけではありませ

ん。しかし、リーダーは特有の特権、機会、責任、そして任務があります。ですか

ら、神は私たちにより高い基準を求めておられるのです。

   教会のリーダーに対する期待のいくつかは、その人の家族関係に関連してい

ます。2 節では「妻に一途で7」とあります。欽定訳やその他の多くの翻訳では、

「一人の妻の夫であり」と言っています。4 節では、「十分な威厳をもって子どもを

 

7 アライブバイブルより引用。新改訳聖書 2017 では「一人の妻の夫であり」となっています。

 

   従わせている人でなければなりません。」とあります。ここで指摘されている要件に

ついてだけでも、多くの議論が長年にわたって行われてきました。それらはしばし

ば、これまでに多くの議論が行われてきましたが、しばしば熱い議論となり、あま

り明確な結論には至りませんでした。これらの節を法的文書として読むと、独身の

牧師を招聘すべきではないということになります。((そこでカトリック教会全体が

なくなってしまいます。)結婚しているが子供たちがいないリーダーは認められませ

ん。「子供たち」は複数形なので、一人しか子供がいない人も教会のリーダーにはな

れません。もちろん、女性の牧師や離婚歴のある牧師(男女問わず)も認められま

せん。

   これはパウロがこの箇所で言っていることでしょうか?私にはそのようには

理解できません。彼はあらゆる状況をカバーする完全な規則のリストを示そうとし

ているわけではありません。これは、どのような状況でも適用して同じ結果期待で

きるような数学の公式のようなものではありません。むしろ、彼はその時代と文化

の中で男性が典型的に置かれている状況について、そしてテモテが新しい教会を建

て上げる際に直面するであろう状況について述べているのです。

   例えば、この時代には複数の妻と結婚している男性が多くいましたが、パウ

ロはリーダーを選ぶ際にそのような人々を避けるように彼に言っています。牧師が2

人や3 人の妻を持っていたら、教会生活にどのような問題が生じる可能性があるか

想像するのは難しくありませんよね?ですから、これらの教えの要点は、著者が2

節で言っていることそのものであるように思われます。牧師の結婚関係は誠実さ8に

よって特徴づけられるべきです。それはパウロが4 節で書いていることです。キリ

ストの教会のリーダーは、まず個々の家族の良い管理者でなければなりません。あ

るいは、5 節後半が述べているように、より否定的な言い方をすれば、教会のリー

ダーの家族メンバーがお互いに我慢できないのであれば、同様のことがより大きな

教会の家族でも起こる可能性が高いのです。もし私が体を鍛えるためにフィットネ

ストレーナーのところに行き、その人が椅子から立ち上がれないほど太っているな

ら、私は間違ったトレーナーのところに行っているかもしれません。著者はそのよ

うなことを言っているように思われます。彼は小さな事柄から大きな事柄へと論じ

ています。小さな事柄でこれが真実であれば、より大きな事柄ではどれほどそうで

しょうか?このように読むと、彼の言葉は理にかなっているように思えませんか?

   自制は、この箇所で繰り返し現れる良いリーダーの人格の一つです。2 節で

は、「自分を制し」そして3 節では具体的な例を挙げています。「酒飲みでなく、乱

暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で」もしオープンドアが次の主任牧師とし

て召す人が、飲み過ぎ、喧嘩をし、貪欲に振る舞う習慣がある場合、私たちは間違

った人を選んでいるかもしれません。神の信仰の家族をうまく導くためには、優れ

た飛行機のパイロットのように冷静な人が必要です。神が人々を愛するように、お

 

8 原文では“faithfulness”

 

金よりも人々を愛する人が必要です。そうすれば、私たちは平和に共にいられるで

しょう。

   すすきのでバーを経営している友人がいるとします。あなたは彼のところに

行って、「ねえ、ケンを知っている?」と尋ねます。(特定の人について話していると

は思わないように、日本や英語圏の国で見つかるような名前を使います。)

   「ああ、ケンを知っているよ。彼はほぼ毎日、店が開いた直後にやってく

る。一人で座って、閉店時間まで大酒を飲んでいるよ。彼は主に株式市場のレポー

トを見て、それから電話で売買している。かなりのお金を持っているようで、もっ

と儲けようとして一日中過ごしている。彼がする決断がどれほど良いものかはわか

らない。ほとんどの時間飲んでいるからね。でも、決して止めないから、まだいく

らかお金があるんだと思う。ここには多くの人が来て友達と過ごすけど、ケンはそ

うじゃない。友達はあまりいないだろうし、ここにずっといるから家族と過ごす時

間もほとんどないはずだ。他の人と話すのは、彼らが騒いだり、彼が気に入らない

ことをしたりしたときくらいだ。よく喧嘩になる。ここで誰かに椅子を投げつける

のを見たこともある。...ところで、なぜケンのことを知りたがっているの?」

「ああ、彼を私たちの教会の次の牧師として召すことを考えているんだ。」

子供の頃、「この絵のどこが間違っている?」というパズルをしたことがあり

ますか?私たちはここでそれをしているのではないでしょうか。神の教会を導くた

ように召された人の個人的な生活の中で、神の愛が働いていることを見るのは難し

いことではなく、簡単であるべきです。牧師が神の言葉を教え、説教する時、その

個人的な生活はそれが真実であることを示し、それに矛盾して人々への良い影響を

打ち消すべきではありません。

   パウロは8-13 節で、執事、つまり組織システムのより下位のリーダーとして

選ばれるべき人々ついて同様の指示を与えています。また、教会のリーダーの妻と

してどのような女性が必要かをテモテに告げています。彼女たちは、公式のリーダ

ーの立場にいるかどうかに関わらず、しばしばグループの生活に強い影響を与えま

す。神がこれらの様々な教会のリーダーたちに与える教えは、基本的に私たちが既

に話したものと同じです。テモテへの手紙第一、第二、そしてテトスへの手紙 1:6-9

にも同様の内容があります。ここで詳しく取り上げる時間はありませんが、次の教

会のリーダーを神が導いてくださるように祈りながら、Quiet Time9にこれらの箇所

を読んでください。

   しかし、この箇所を離れる前に、リーダーとして考慮されている人が実際に

は神が私たちに求めるような人でない場合に何が起こるのか疑問に思うかもしれま

せん。もちろん、パウロがこの同じ手紙の5:22 で書いているように、その人を牧師

として召さない方が良いです:「だれにも性急に按手をしてはいけません。」しか

し、神が私たちに自由を与えてくださっている限り、私たち教会のリーダーもリー

ダーシップへの召しを受けた後でさえ、悪いことをする選択をすることがありま

す。著者は5:20-21 でそのような場合について厳しい指示を与えています。

   罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人た

ちも恐れを抱くでしょう。私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちの前

で、あなたに厳かに命じます。これらのことを先入観なしに守り、何事もえこひい

きせずに行いなさい。

   教会が牧師を留任させるかどうかを決定しなければならないケースさえあり

ます。聖書はそのような決定をどのように下すかについて具体的には触れていませ

ん。しかし、聖書の一般的な原則に沿って、以下のような質問が祈りと誠実なコミ

ュニケーションの中で考慮すべき指針となるでしょう。

   問題を引き起こしているリーダーの行動は…

     彼/彼女が以前に一度も、またはほとんどしたことがないものか、それ

        ともその人が習慣的にしているものか?

     その人の人格とは無関係なものか、それとも実際に彼/彼女の人格の一

        部であるのか?

     彼/彼女が責任を取っているか、それとも責任を逃れようとしているの

        か、例えば責任転嫁をしたり、他人の責任であることを示そうと

        したりしているか?

     彼/彼女が本当にその行動をやめたのか、それとも(静かにであれ公然

        とであれ)続けることを主張しているのか?

     彼/彼女が進んで懲戒を受け入れようとしているか?

   パウロが最後に述べていることは、「また、信者になったばかりの人であって

はいけません。」(6 節)ということです。昨年、私は知り合って楽しかった学生が

いました。彼は卒業して自衛隊に入隊ました。彼のような人々が私たちを守ってく

れていることに感謝しています。しかし、例えば今年後半に、彼が国全体の自衛隊

のトップになったと聞いたら、私の感情は感謝から恐れへと急速に変わるでしょ

う!彼にはまだ十分に学び、準備する機会がなかったことが多すぎるのです。教会

のリーダーになることも、非常に大きな責任を伴います̶自国の人々に対してだけ

でなく、さらに重要なのは天地の神に対してです。ですから、監督の仕事は真剣に

取り組む必要があり、教会は将来のリーダーたちがその地位に成長していく時間と

支援を提供する必要があります。

   最後に、教会は一般的にその牧師よりも強く、またより成熟することはない

ということを心に留めておきましょう。リーダーが喜びに満ちていれば、教会も強

く喜びに満ちる傾向が強くなります。リーダーが批判的であったり、怠惰であった

り、思慮深く愛情深かったり、何であれ、そのような人々がグループに引き付けら

れ、加入後もその方向で成長し続けることがよくあります。

   ですから、次のリーダーを探し、そして私たち一人一人が様々な時や状況で

リードする際、個性・賜物・才能の力量だけでなく、人格を持つリーダーを目標と

しましょう。この章の13 節でパウロが書いているように、i「よく仕え」、「他社か

ら完全な尊敬を得る」10、自身の信仰の中で成長し続け、私たちが共に前進する中

で、神の民に対する神の最善の夢が私たちの中で実現するのを助けるリーダーを持

てるよう、今、主に求めましょう。

   神様、私たちの賜物を日々あなたの賢明で愛に満ちた御手に再び委ねること

ができるよう助けてください。私たちを真の人格者へと成長させ、それによって私

たちが持つすべてを、あなたのため、そして他の人々のために上手く使うことがで

きます。あなたの教会にいる私たち全員が、あなたが私たちを奉仕のために置かれ

た様々な場所でリーダーシップを発揮するために能力を使えるよう助けてくださ

い。そして、あなたの教会、オープンドア・チャペルの次の主任牧師を探している

私たちを導いてください。その人を通して、あなたが私たちのリーダーとなってくだ

さい。私たち全員、牧師も他の教会員が共に、あなたに従い、日々あなたに似た者

となるように導いてください。これが私たちの祈りです。真の善き羊飼いである私

たちの主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

 

 

参考

Begg, A. (2019, September 16). Elders ‒ Taking Care of God’s Church. Exposit

   the Word. Line by Line Bible Study. https://www.youtube.com/watch?

   v=1l8PReSTp0U

Ortberg, J. (2024, June 14). Develop the Character to Bear Your Gifts. Become

   New. https://becomenew.com/story/?wchannelid=qe2ndv4rvs&wmediai

   d=ipjtig2

 

10 1 Timothy 3:13 Those who have served well earn the full respect of others. (NIrV)

 

引用元提示:

新改訳聖書 2017 と略記したものは

『聖書 新改訳2017』

聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

より規定範囲内で引用

NIrV stands for New International Reader’s Version.ii

Holy Bible, New International Reader’s Version®

Copyright © 1995, 1996, 1998 by International Bible Society

i 執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を

持つことができるのです。(テモテへの手紙 第一 3:13 新改訳2017)

本箇で「執事」とありますし、多くの英語訳でもdeacons と書かれているものが多いですが、ギリシャ語で

deacons を含むものはありませんでした。

ii Jim先生が使ってらっしゃる聖書はNIrV と言ってNIV を読みやすくしたものです。通常の英語訳とは翻訳の

傾向が違います。