神から出た計画は滅ぼせない!

2024年7月28日主日礼拝「神から出た計画は滅ぼせない!」

使徒の働き5:34~42 佐々木俊一牧師 

■使徒たちは再び捕らえられて、最高法院サンヘドリンに連れてこられました。大祭司の尋問に対してペテロは前回と同じように答えました。大祭司、サドカイ人、パリサイ人、そして、議員たちが、イエスを十字架にかけて殺したのだということ、しかし、イエスは復活したこと、それには理由があって、イスラエル人を悔い改めさせ、罪の赦しを与えるためであること、イエスはそのための救い主なのだということ、その後、天に上げられたことなどを話しました。そして、彼らがその証人であって、そのことを宣べ伝えることについては、人に従うよりも神に従うべきだ、と大胆にサンヘドリンの裁判の中で語ったのです。それを聞いた大祭司とその仲間たちは、怒り狂って、使徒たちを殺そうと考えたのです。

■33節~37節 使徒たちを殺したいと思っている宗教指導者や議員は多数派であったと思われます。しかし、そんな中、異論を唱える人がいました。ガマリエルというパリサイ人です。パリサイ人でも、パリサイ人の先生のような立場の人でした。ラビよりも上の地位で、ラバンと言われていました。34節には「民全体に尊敬されている律法の教師」となっています。当時、ユダヤ教はいくつかの学派に分かれていました。その代表的なのが、厳格なシャマイ派と穏健なヒレル派でした。ガマリエルは、ヒレル派の本家のような人でした。

 実は、パウロもガマリエルの門下生だったのです。使徒の働き22:3を見ると、パウロ自身が自分のことについて言っています。

「私は、キリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町(エルサレム)で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」

 パウロは、イエス・キリストを信じる前は、先頭に立ってクリスチャンを迫害していました。

 AD70年エルサレム陥落以降は、ガマリエルが率いるヒレル派がユダヤ教の主流になって行きました。その後のミシュナーやタルムードの編纂もヒレル派が中心になってその基礎を作ってゆきました。 パウロは、このような優れた聖書の教師の下で旧約聖書を学んだと言えるでしょう。

 パウロの師匠であるガマリエルがこの時立ち上がって、使徒たちを一旦議場から出すように命じました。彼は、大祭司とその仲間たちに向かって、使徒たちをどう扱うかについて十分に気をつける必要がある、と忠告しました。ガマリエルは、二つの過去の事例をあげて説明しました。

 一つは、テウダと言う人の例です。彼は自分を何か偉い者のように言って400人くらいの人を扇動し、反乱を起こしました。偉い者と言うのは、神から遣わされた預言者であるとか、メシアであるとか、そういうことです。しかし、彼の反乱は失敗に終わりました。彼は殺され、彼に従った人々は散らされて跡形もなくなりました。

 もう一つは、住民登録の時に、ガリラヤのユダがローマに対して立ち向って反乱を起こしました。しかし、この時も、首謀者であるユダは殺され、人々は散らされてしまったのです。

 このような反乱は、イエスの時代にも、使徒の時代にも、頻発していたようです。当時の歴史家ヨセフスの著書にもそのような記録が残っているそうです。ローマ帝国の支配下で上手に財を築いていたユダヤの金持ちたちにとって、そのような反乱者の存在は彼らの地位を脅かす厄介者でした。ですから、彼らは、人々を熱狂的にさせるイエスや使徒たちをなんとかして排除したかったのです。

 興味深いことに、イエス様ご自身がこのような偽預言者や偽キリストに気をつけるように言っています。また、イエスを救い主と信じる者たちへの迫害についても語っています。マタイ24章を見るとそのことがわかります。マタイ24章に書かれていることは、使徒たちやその時代に生きる人々へのメッセージであると同時に、もっと後の時代に生きる人々へのメッセージでもあります。イエス様が再び来られる日が近づけば近づくほど、偽預言者や偽教師、偽キリストと言った人々に気をつけなければなりませんし、また、クリスチャンへの迫害が以前よりも増して起こりえる時代であると言えるのです。

■38節~40節 ガマリエルの結論はどういうことでしょうか。それは、もしも、その計画や行動が人間から出たものであるなら、その者たちもその計画も、結局、自滅し自然消滅するのだ、と言うことです。しかし、もしも、神からの出たものであるなら、彼らの計画を止めることはできませんし、また、彼らを滅ぼすこともできないのです。それが、ガマリエルの結論です。ですから、イエスの弟子たちから手を引いて、放って置くのが一番であると言うのが、ガマリエルの考えです。彼らのやっていることが神から出ていないのなら、彼らは自滅し、自然消滅してしまうのです。しかし、もしも、彼らのやっていることが神から出ていることであるならば、彼らを滅ぼすことはできませんし、彼らの計画を止めさせることもできません。それにもかかわらず、彼らを滅ぼそうとするなら、それは神への敵対行為になってしまうのです。ガマリエルはそのようにユダヤの指導者たちに忠告しました。結果的に、彼らは、ガマリエルの言うことに従うことにしました。彼らは、使徒たちを呼び入れて、鞭で彼らを打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じ、その上で、彼らを釈放したのです。

■41節~42節 使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った、とあります。使徒たちは、イエス・キリストの御名によって福音を語り、病をいやし、神の働きをしていたことを咎められて裁判にかけられました。何か悪い事をして裁判にかけられることは、人としてとても恥ずかしいことです。けれども、良いことをしているのに、それを咎められて裁判にかけられるとしたら、周りの人はいろいろと言うかもしれませんが、恥ずかしく思う必要はありません。良い事のために辱められているのなら、私たちはそのことを喜ぶべきです。その良いことが、イエス・キリストの御名のためであって、そのために苦しめられたり、辱められたりするなら、それはもっともっと喜ぶべきことなのです。

 ペテロは、Ⅰペテロ2:19でこのように言っています。「もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。」とあります。そして、こうあります。「罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉になるでしょう。しかし、善を行なって苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。このためにこそ、あなたがたは召されたのです。」とあります。

 イエス様も山上の説教の中で言っています。「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」と。義のために迫害されている者とは、イエスを救い主と信じる者たちであり、イエスが救い主であると宣べ伝える者たちのことです。時代や国によっては、彼らは迫害されるのです。しかし、天の御国はその人たちのためにあるのです。イエスを救い主と信じている者がののしられたり、悪口を言われたりするのは、昔から当たり前のようにずっとありました。神様に従おうとする者たちは、旧約時代でも、新約時代でも、今の時代でも、そのような目に会って来たのです。それ覚悟で信仰を続けて来ました。それだけの意味ある事ですから、私たちはイエスを救い主と信じました。

 私たちも過去をふり返ると、人々の前でイエス様のことを証ししたり、聖書のことばを語ったりした時に、無関心だったり、馬鹿にされたり、拒絶されたりしたことがあるのではないかと思います。私もあります。そのような時、私たちは、がっかりしたり、悲しくなったり、腹立たしくなったりすることがあったかと思います。でも、神様は、そのようなことで耐え忍ぶ私たちの事をとても喜んでくださるのです。そのことを覚えたいと思います。 

このような大変な状況を経験したにもかかわらず、弟子たちは、それでも、イエスがキリストであることを教え、宣べ伝えることをやめませんでした。あきらめることなく、宣べ伝え続けたのです。それは何よりも、彼らがこの福音が神様から出ているということを確信していたからです。

■終りに、パウロが師事したガマリエルの言ったことを、もう一度確認したいと思います。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するか自然消滅するのです。しかし、もしそれが神から出たものなら、それらを滅ぼすことはできません。イエス・キリストは救い主です。イエス・キリストは、人々を悔い改めへと導き、罪の赦しを与え、救いを得させるために、この地上に人として来られました。そして、十字架に架かり、死んで三日目によみがえりました。今は、天に戻られて、父なる神の右に座しておられます。イエス・キリストは将来、約束通り、再びこの地上に戻って来られます。

 この計画は神様から出たことなので、この救いの計画を宣べ伝える者がいなくなることはありません。たとえ、私たちが福音を宣べ伝えないとしても、それは、絶対になくなることはありません。しかし、私たちはこの計画を宣べ伝える働きに加わりたいと願っていますから、私たちもそれを止めません。この計画は神様から出たことである、と私たちは信じていますから、私たちは福音を宣べ伝え続けるのです。どんなことがあっても、神様から出た計画は滅ぼすことはできません。

 この世にはいろいろな宗教があって、自分たちの信じている神様こそが本物であると主張しています。けれども、本物は一つだけです。一つだけが残って、あとはなくなります。人間から出たものなら、自滅します。そして、神様から出たものだけが、最後には残るのです。私たちは、イエス・キリストこそが真の神様から出たもの、と信じています。イエス・キリストこそが、永遠に礼拝を受けるべきお方、救い主なるお方、真の神様です。ですから、私たちも、使徒たちと同じように、救い主イエス・キリストを宣べ伝え続けて行きたいと思います。それではお祈りします。