ステパノから学ぶこと

2024年9月8日主日礼拝「ステパノから学ぶこと」使徒の働き6:8~15 佐々木俊一牧師 

■エルサレムでは弟子の数がますます増えていきました。弟子と言うのはイエスの弟子と言う意味であって、クリスチャンのことです。この時まだ、クリスチャンという言い方がありませんでした。ペンテコステの日には、120人の弟子たちだけでした。その後、3000人の人々が弟子として加えられ、次に、男だけでも5000人の人々がイエスを信じました。この時点で、たぶん、エルサレムには1万人以上のクリスチャンがすでにいたのではないでしょうか。 

 初代教会が大きくなるにつれて、12使徒だけではこの大きな集団の中で起きるすべての問題に対処することはできないと判断し、さらに、新たなリーダーを7人選びました。12使徒たちは、祈りとみことばの奉仕の大切さを自覚していました。何としても、祈りとみことばの奉仕がおろそかにならないようにしなければなりません。そのために、彼らは新しい体制を作ったのです。この動きは、復活のイエスが彼らに与えたミッションをさらに進めて行くために用いられることになります。イエス様は使徒たちに、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」と言われました。選ばれた7人のリーダーたちの働きをとおして、宣教の働きは衰えることなく、エルサレムからさらにユダヤとサマリアの全土へ、そして、異邦人への宣教へと広がって行くのです。それでは、使徒の働き6:8から見て行きたいと思います。

■8節~10節 これら7人の新しいリーダーは、アラム語を話すユダヤ人と当時の世界で広く使われていたギリシャ語を話すユダヤ人の間に入って対応することも多かったでしょう。ですから、彼らはたぶん、アラム語とギリシャ語のバイリンガルであったでしょう。名前からしてこれら7人は、いわゆるディアスポラと呼ばれている世界中に離散したユダヤ人であったと考えられます。

 その選ばれた7人のリーダーたちの中に、ステパノと言う人がいました。使徒の働き6章と7章では、このステパノに焦点が当てられています。また、8章では、7人の中の一人、ピリポに焦点が当てられています。そして、もう一人ユニークなリーダーとして、二コラオがあげられるでしょう。彼はアンティオキア出身の異邦人です。彼はユダヤ教に改宗し、その後クリスチャンになった人です。

 ステパノは、恵みと力に満ちていた、とあります。そして、人々の間で大いなる不思議としるしを行なっていた、とあります。恵みはギリシャ語で、カリスです。神様からの賜物は、カリスマと言います。カリスマの元のことばがカリスですから、ステパノは恵みによって神様からいやしや奇跡の賜物を豊かに受けていたのでしょう。ステパノはそんな神様の賜物に満ち、神様の力に満ちていました。ですから、彼は人々の病をいやしたり、奇蹟を行なったりできたのです。それによって、人々はイエス・キリストへの信仰へと導かれました。ステパノもピリポも12使徒の働きをサポートするために選ばれた人々でしたが、行なっていたことはペテロや他の使徒たちと同様に聖霊の力と導きによって神様のみわざをなし、福音宣教の働きをしていたのです。

 ステパノには神様から与えられた賜物が他にもありました。それは、彼が語る時の知恵と御霊です。彼が聖書の中身について議論するならば、誰も対抗することが出来なかった、と言うのです。ある日、ステパノは、リベルテンと呼ばれる会堂に属するユダヤ人と議論することがありました。リベルテンとは、自由を得た者という意味です。ローマ帝国の奴隷にされたユダヤ人たちが再びエルサレムに戻って来たときに建てた会堂なのです。そこには、クレネやアレクサンドリア、キリキアやアジアの出身のユダヤ人が集っていました。彼らは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちでしたから、彼らの仲間がイエス・キリストを信じてクリスチャンになるのを快く思っていなかったのだと思います。そんな彼らにとって、ステパノのようなクリスチャンは憎しみと妬みの対象になっていたのでしょう。彼らはある人たちをそそのかして、ステパノを捕えるために陰謀をたくらみました。

■11節~14節 リベルテンのユダヤ人たちはある人たちをそそのかして、「ステパノがモーセと神を冒涜することばを語るのを聞いた」と言わせたのです。また、彼らは民衆と長老たちと律法学者たちを扇動して、ステパノを襲って、捕らえました。そして、最高法院に連れて行って裁判にかけたのです。彼らはステパノを有罪とするために、偽りの証人たちを用意しました。そして、こう言わせたのです。「ステパノはこの聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」と。

 ステパノは本当に、イエスはこの聖なる所、この神殿を壊す、と言ったのでしょうか。また、イエスはモーセが伝えた慣習を変える、と言ったのでしょうか。もしも、誰もが分かるような言い方ではっきりとそのように言ったのであれば、それは確かに問題になるでしょう。神殿を壊されたりしたら大変なことです。

 使徒の働き7章で、ステパノは神殿について旧約聖書に書かれてある通りのことを裁判の中で語っています。しかし、それだけであれば、それを問題にするのがおかしなことなのです。ステパノが神殿と律法についてリベルテンのユダヤ人に何と言ったのか、具体的に書かれていないので推測して語るのですが、神殿については、イエス様ご自身はこのように言われました。神殿にいたユダヤ人に向かって、「この神殿を壊して見なさい。わたしはそれを三日で建てよう。」と言いました。すると、ユダヤ人は、「この神殿は建てるのに46年かかりました。あなたはそれを3日で建てるのですか。」と反論しました。ここでイエス様が意味したことは、神殿とはご自身のからだを指して言ったのです。新約聖書の中においても、この真理は説き明かされています。イエス・キリストを信じる私たちクリスチャンの体もまた、神殿と言われています。なぜでしょうか。それは、イエス様を信じる者の内には神なる聖霊が住んでおられるからです。神の住まわれる所を神殿と言うのです。弟子たちは、イエス様がよみがえられた時に、そう言えば、イエス様はそのようなことを言っていたなあ、と思い起こして、聖書とイエス様が言われたことを信じたのです、とヨハネ2:22に書かれています。

 たぶん、ステパノは、イエス・キリストが十字架に架けられ死んで三日目によみがえられたことについて、イエス様が話されたこの神殿の話をしたのかもしれません。もちろん、ステパノは直接イエス様から聞いたのではありません。12使徒の誰かから聞いたのでしょう。

 また、イエス・キリストこそが罪を取り除く真の神の小羊なのですから、イエス・キリストの十字架のゆえに、神殿でささげていたささげものにはもはや意味がないことを教えたのかもしれません。もしそうだとしたら、当時のユダヤ人たちは絶対に腹を立てたと思います。ステパノが、イエス・キリストの救いや神の赦しや愛について語る時に、ユダヤ人たちは自分たちの律法にあるきまりや慣習が無碍にされた、侮辱されたと感じたのかもしれません。こうして、彼らはステパノのことばを誇大解釈し、ステパノが言っていないことまで作り上げて事実を捏造し、嘘の証言をさせました。ステパノへの憎しみと妬みが、そのような行為へと走らせたのです。

■15節 「最高法院で席についていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔はみ使いの顔のように見えた。」とあります。

 最高法院で席についていた人々は、ユダヤ人の中でも優秀で偉い人々です。そのような人々がステパノを見たとき、ステパノの顔がみ使いの顔のようだった、と言うのです。まず、この証言は、たぶん、席についている人々の中の誰かによる証言に違いありません。その人は、きっと、後になってクリスチャンになったのではないでしょうか。ステパノの様子に衝撃を受けて、クリスチャンになった人も中にはいたのではないでしょうか。もちろん、言うまでもなく、そこに聖霊の働きがあったからです。

 そして、次に、み使いのような顔とはどのような顔でしょうか。これに似た話を二つしたいと思います。一つは、モーセです。モーセが十戒を持ってシナイ山から降りて来たとき、モーセの顔の肌は輝きを放っていたと言うことです。出エジプト34:30に書いてあります。あまりにもモーセの顔が輝いているものですから、人々はモーセに近づくことを恐れたのです。その輝きが今までに体験したことのないような、この世のものとは思えない輝きであったのでしょう。

 二つ目は、イエス様がペテロとヨハネとヤコブを連れて山に登った時のことです。その山はタボル山とかヘルモン山と言われています。両方ともに、実在する山です。ヘルモン山は2814メートルのとても高い山です。この話は、マルコ9:2~8にある話です。この時は、イエス様の姿が変わり、その衣は非常に白く輝き、この世のものとは思えないほどでした。この時、ペテロとヤコブとヨハネは恐怖に打たれていた、とあります。

 ステパノの顔がみ使いのように見えたと言うことは、この世のものとは思えない輝きを放っていたり、そのような様子の変化が見られたのでしょう。また、ステパノは危機的な状況に置かれていたにもかかわらず、何ものも恐れない、正々堂々とした、平安と喜びに満ちあふれた様子がステパノの姿にはあったのではないでしょうか。そこに主が共にいて、主のご臨在が満ちあふれていたのだと思います。そのことのゆえに、きっと、そこにいた人々は、恐れを感じたのだと思います。そんな中、ステパノの答弁が始まろうとしていました。

■初代教会において、信じる者がますます起こされる中、いろいろな問題に対して対応しなければならなくなりました。そのために、新しい体制作りが導かれて行きました。新しいリーダーが7人選ばれました。選ばれたリーダーのうち、ステパノとピリポについてはその後の活躍を見ることが出来ますが、他の5人については、その後どうしたのかについてわかりません。しかし、それぞれに神様の導きがあって、それぞれの働きへと召されていったことと信じます。新しい状況が展開する中で、必要があって、何らかの働きへと導かれる人々がいます。その中で、人々は、また次の働きのための準備を導かれることはよくあることです。ステパノとピリポがそうでした。彼らが神様に従って一歩踏み出したとき、また次のステップを神様は用意していたのです。

 オープン・ドア・チャペルにおいても、この2年くらいの間に変化を誰もが感じていることと思います。その変化の中で、神様が教会に対して、また、個人に対して、導いておられることがあると思います。それが新しい体制作りであったり、新しい役割であったりします。それが何なのか、ぜひ、しっかりととらえて、受け取っていただきたいと思います。

 ステパノの場合は、殉教という結果に導かれて行きましたが、これも神様のご計画であり、導きでした。そこには、神様の大きな御心がありました。否定的な出来事とも思えるステパノの殉教が及ぼした影響は多大なものがあったと思います。ステパノには神様から与えられた素晴らしい賜物がありました。その賜物を生かして、もっと神様のために長く働きを続けたならば、もっと多くの人々がステパノを通して救われたのではないだろうか、と私は思ってしまいます。しかし、それは、人間的な考えのようです。神様の計画はそれを超えていました。ステパノが7人の中の一人のリーダーとして選ばれて、その後、殉教するまでの短い間に、ステパノは自分に与えられた大きな役割を果たしたのです。その影響は、後にならなければわからないことでしたが、この短い間に、ステパノは多くの人々に確かに良い影響を与えていたのです。その一人が、サウロ、後のパウロです。たとえ、悲しい出来事であったとしても、神様の御手の中にあって、将来、その実を結ぶ時へとつなぐのです。神様の御心は、本当に深いものです。実現して初めて悟れることが多々あります。ステパノを通して学ぶことはたくさんありました。各自の心の内でそれらを受け取っていただきたいと思います。そして、私たちはさらに、神様に信頼して、神様に期待して、自分に与えられた役割を忠実にやり続けていきたいと思います。それではお祈りします。